#004 第一章 鳳翔さんが家にやってきた!【03】

 そんなこんなで、船はお昼前に夏山家所有の別荘がある島の船着き場へ到着。
 ここまで事件らしい事件もなく、夏らしい入道雲がぽっかりと浮かぶ青空の下、一行は続々と船を下りていく。
 桟橋に降り立った航一は、潮風を受けて心地良さに目を細めた。
「風すっげぇ気持ちいい~。絶海の孤島って聞いてたから、もっとサバイバルな感じかと思ってたけど、意外とデカイ島じゃん」
「絶海の孤島なんて言ってないけど……。無人島じゃないし、普通に車も走ってるよ」
 既に何度か来ているという諭吉も、航一に倣って目を閉じ風に髪を梳かされる。やがて目を開くと、辺りを見渡して首を傾げた。
「あれ? 全然人いないんだけど、どうしたんだろう……」
 船着き場にはホテルや市場、土産物屋、レストランなどが併設されており、それなりに賑わっている雰囲気がある。
「離島だし、そういうもんじゃねーの? ってか、普通に人いるじゃん」
 航一はそう言いながら、視界に入った土産物屋に注目する。
 解放されている店先では、品定めをする男性客や扇風機の前で涼む小学生の姿がある。
「え、どこに……」
「ここでうだうだやってても仕方ないと思うんだけど……。誰か迎えに来るの?」
 いらいらそわそわした様子で深雪が言った。
「あー、トイレに行きたいのか」
 鼻をほじりながら航一はそう応える。
「違うわよ馬鹿!」
「いべっ!」
 顔を真っ赤にした深雪が振り下ろしたげんこつが頭頂を強打したことにより、鼻の穴に入っていた小指が一気に第二関節まで埋まり、航一は悶絶した。
「デリカシーのないこと言うからよ」
「…………」
 無言涙目で深雪を睨みつける航一を尻目に、諭吉は何かを大事なことを思い出したのか、はっとして二人に向かって言った。
「……ああ、そうだった。宝くじが大当たりしたときに増えた親戚の人が迎えに来てくれるはずなんだ。ちょっと電話してみるよ」
「いてて……その親戚って、ただの金目当てじゃねーの? 大丈夫かそれ?」
「初めは疑ったけどね。っていうか今も疑ってるけど。まあとりあえず良い人だよ。ちょっと待ってて。電話するから」
「ユキって、よくこれまで無事でいられたわね……」
 スマートフォンを操作して耳に当てる諭吉を見ながら、深雪はため息と共に呟いた。
「あれ? 電話通じないや。こっちの電波は大丈夫なんだけど」
 ポケットに端末を仕舞いながら、諭吉は首を傾げる。少し不自然な方向に曲がっている諭吉の首を見て、航一が心配半分、呆れ半分で言った。
「何のアニメの真似か知らんけど、そんなに捻ると首痛めるぞ……。向こうの方に問題あるんじゃねーの?」
「うん。そうみたいだね」
「どうするの? このままみんなで待ってるわけ?」
「だ、大丈夫だよ。道は分かるから僕が案内するよ」
 徐々に苛立ちを露わにし始めた深雪に、諭吉は慌てて言った。
「諭吉さん。お待たせしました。ご無沙汰しております」
「うわっ! 誰だ!?」
 唐突に見知らぬ初老の紳士が現れて、航一は仰け反った。
「あ、おじさん。お久しぶりです」
 諭吉は面識があるのか、ぎこちなくも挨拶を返す。
 勝手にかりゆしファッションの気さくなおじさんを想像していた航一は、突然現れた執事風の黒いスーツ姿の紳士を見て、軽く目眩を覚えた。
「この人が、今日案内してくれる僕の親戚の三峰おじさんだよ」
「三峰豊(みつみねゆたか)、と申します。皆様、本日はよろしくお願い申し上げます」
 豊と名乗った紳士の深々と頭を下げる慇懃な振る舞いを見るに、宝くじの当選金目当てで近づいてくるような輩には到底思えない。別の方向に怪しさ百倍だが。
「よろしくお願いします。あの……三峰さんって、こちらに住んでる方ですか?」
 もじもじと緊張気味に深雪が訊く。
「いえいえ。わたくしは諭吉さんのお父さんから依頼を受けて先にこちらへ参りました。本日は皆様のお世話を務めさせていただきます。なんでもお申し付けくださいませ」
「「ん? 今、なんでもするって言ったよね?」」
 航一と深雪が完璧なユニゾンでそう言うと、諭吉は苦笑いしながら肩をすくめた。
「なんでも『する』とは言ってないんだよなぁ……。二人とも『なんでも』に反応しすぎだよ」
「仲の良いお二人さんで微笑ましいですな」
 柔らかな笑みを浮かべて豊が言う。二人とは航一と深雪のことだろう。
「こっ、こいつとは別にそんなんじゃないんだからっ!」
 わざとらしいツンデレ演技の後、深雪はにんまりと笑みを浮かべる。
「まあ、航一はアレだしねー」
「アレと仰いますと?」
 深雪はきょとんとした豊に説明を続ける。
「航一の相手は鳳んむむっ!」
「いえいえ、なんでもないっすよ。もちろんこいつとも。ハハハ……」
 深雪の口を押さえつけて、航一は笑ってごまかす。
「それを豊さんに言っても分かるわけないよ、深雪ちゃん……」
 なぜか異常な恥ずかしさを覚えて、諭吉は顔を真っ赤にした。身内の恥は自分の恥といったところか。
「本当に仲がおよろしいのですね。まあまあ、お二人のご関係については詮索いたしませんので、ご安心ください」
 少し驚いた表情になったが、豊はすぐに微笑みを取り戻して言った。
「「…………」」
「……あれー? 二人とも、なんで今頃赤くなってるの?」
 急に恥ずかしくなったのか互いににそっぽを向いて固まる航一と深雪を見て、諭吉がからかうように言う。その瞬間を見計らったかのように、豊は航一達から距離を置いていた。
「さあ、皆様、お待たせしました。それでは夏山家の別荘へご案内いたします。はぐれないよう、お気をつけください」
 少し溜めてから発された、張りのあるバリトンボイスが辺りに響き渡る。
 桟橋から離れた駐車場近くまで散り散りになって談笑していた者達が話を止め、一斉に声の方を向いた。
「さあさ、お三方も行きましょう」
 そう言って、豊が前に出て歩き出す。航一らも、呆けた様子でそれについていく。
 豊を先頭にして、統制の取れた軍隊のごとく、一行は声も発さずに歩き出したのだった。

「すげーかっこ良いな、三峰さんって!」
「そうね。あの美声、痺れたわ……」
 夏山家の別荘に併設されている海の家に着いて腰を下ろすなり、口々に豊を褒めそやす航一と深雪。対して諭吉は何やら思索に耽り呟いている。
「うーん……やっぱりおかしいよね……」
「どうしたんだ、ゆきっち? なんか気になることでもあんの?」
「んー……三峰おじさんのことなんだけど、ちょっと違和感があるなって……」
「うどんがどうしたの?」
「縦読みすんじゃねーよ! ん? 縦書きだと横読みになんのかね?」
「で、豊おじさまがどうかしたの?」
「スルーかよ! ていうか、おじさまってなんだよ……」
 噛み合わない二人のやりとりをよそに、諭吉は難しい表情のまま首を捻っている。
 豊は『管理人の方に到着を伝えてきますので、こちらでお待ちください』と言って、先に別荘の本館へ行っている。
 残された一行は、とりあえず海の家で一休みといったところである。既に着替えを始めた男子達とそれを白い目で見る女子達の姿もある。
 海の家は薄く砂の乗った畳敷き。四方の壁はなく開放的で、浜風が吹き抜けて涼しさを提供してくれる。
 深雪の問いに諭吉は一度は言おうかどうしようか逡巡する素振りを見せたが、すぐに決心がついたのか、疑問に思っていたことを口にした。
「三峰おじさんって、あんな感じの人じゃなかった気がするんだよね」
「でも、何度か会ったことあるんでしょ? 船着き場では別に何も言ってなかったし」
「まだ確信が持てなかったからね。うーん、なんだろうこの違和感……」
 諭吉はこめかみを両側から拳でぐりぐりと揉みながら、違和感の元を探ろうと唸っている。
「あーっ、もう分かんないや! そんなことよりみんな早く遊ぼうよ~!」
 とうとう考えるのを諦めて、諭吉は畳の上に寝っ転がって手足をジタバタとさせた。
「まあ、そのうち何か分かるっしょ。そういえば、ゆきっちは本館に行かなくていいん?」
「……あ」
 航一に指摘されて諭吉は動きを止め、『しまった』という顔をした。
 この日の諭吉は本来、客を迎える立場である。宴会で言えば幹事みたいなもの。豊に任せっきりであることに気が引けたのか、表情を引き締めると勢いをつけて起き上がった。
「あー、そうだった……。挨拶くらいしてこないと。ちょっと行ってくるよ」
 諭吉は立ち上がってビーチサンダルをつっかけると、屋外の連絡通路を通って本館に入っていった。
「んじゃ、うちらは泳ぐ準備でもすっかな」
「ちょっと! 女の子の前で着替え始めないでよ!」
 着ていたTシャツを豪快に脱ぎ捨てる航一から目を逸らして、深雪は非難の声を上げた。
「海パン下に穿いてきてるし、別にいいじゃんか!」
 上半身裸となった航一が抗弁する。
「それでもダメなの! ……って、あれ? そういえば女子の着替えってどこでするの?」
 結局は航一の方に向き直り、深雪は疑問を口にした。
 海の家自体には、備え付けの更衣室が存在していないようだ。
「さあ、知らんけど。本館に着替える場所あんじゃねーの?」
「あ、そうかも! 私も本館行ってくる」
 頭の上に探照灯を光らせた深雪は、着替えの入ったバッグを持つと、女子達に声をかけてから早速本館に向かった。
 残った航一は海パン一丁となり、首から下げられた飛行機型のペンダントを手に取った。
 革紐にぶら下げられているのは、天山と呼ばれる、第二次世界大戦時に日本帝国海軍で用いられた艦上攻撃機を象った物である。金属製で、ずっしりとした重さがある。
 暗緑色の機体の両翼にはそれぞれ白く縁取られた赤丸が描かれており、大きさは手のひらに収まる程度である。
 少し古びた風合いのペンダントを弄びながら、航一はこのアクセサリーをくれた祖父へ思いを巡らせた。
 航一の母は妹の友美を産んですぐに亡くなり、父は航一が小学生に上がる直前に蒸発したため、祖父の陸三が孫二人を育てた。以下は、航一が本人から聞いた話に基づいた陸三の略歴である。
 金岡陸三(かなおかりくぞう)が生まれたのは戦後の混乱期であった。
 陸三は幼少の頃から軍艦と軍用機に強い憧れがあり、航空ショーや基地の一般開放など、海上自衛隊のイベントがあるときには、数十キロ離れた海自基地まで自転車を飛ばした。
 中学卒業後は海上自衛隊を志願したが、視力が良くなかったために断念せざるを得なかった。
 勉強ができる方でもなかったため、海自基地近くの喫茶店でアルバイトをし、その後自身で喫茶店『あやなみ』を開業すると、幼いうちに母と父を失った航一とその妹の友美を育ててきた。
 妻は航一が生まれる前に既に他界しており、航一は写真でしかその姿を知らない。
 陸三は孫を、とりわけ男の航一を厳しく育てた。休みの日に昼間寝転がってテレビを観ている航一を『ごろごろしてないで外に遊びに行ってこんか!』と叩き出し、友美を泣かせた航一に何度もビンタを食らわせて『男が女を泣かせるとは何たることか!』と怒鳴った。
 航一は陸三がとても怖かったが、軍艦や航空機について話してくれるときの陸三は表情も柔らかで、航一はそんな陸三のことを海のようだと思った。ときには船を転覆させんばかりに激しくうねり、ときには穏やかに温かく自分と妹を見守ってくれる。
 この天山を模したペンダントは、陸三がお守りとして持っておくようにとくれた物である。
 小学校に上がる頃のことだったと、航一は記憶している。ちょうど父親が蒸発してすぐであり、幼い航一とどう接していいのか分からないような、戸惑った表情が印象的だった。
 なお、陸三は健在である。今も元気に喫茶あやなみでコーヒーを淹れていることだろう。
「店があるから仕方ねーけど、じいちゃんも連れて来たかったなあ……」
 砂浜のずっと先にある水平線をぼんやりと眺めながら、航一は呟いた。

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