#002 第一章 鳳翔さんが家にやってきた!【01】

第一章 鳳翔さんが家にやってきた!

 二〇一X年七月某日午後十時半。
 県立赤城山高校に通う二年生の金岡航一(かなおかこういち)は浮かれていた。
 なんといっても、明日から夏休みである。浮かれないわけがない。
 所属する弓道部の練習があったり、登校日があったり、宿題がどっさりあったりするが、夏休み初日となれば、その辺りの懸案事項など、頭の中にあるわけがない。
 そして、夏休み初日からいきなりの水着回なのである。
 航一は、幼なじみでありともに所属する二年三組きってのお坊ちゃんである夏山諭吉(なつやまゆきち)の招待で、夏山家の所有する海沿いの別荘へ遊びに行くことになっている。
 出発前夜、航一は気分良く旅支度をしていた。板張りの床に胡座をかき、艦これの母港画面の曲をBGMにして、リュックの中を何で埋めるか画策中である。
「水着とタオルとゴーグルも入れた。あとビーサンと……あ、水筒入れる隙間は空けとかねーとな。他に何か要ったっけ」
 既に限界近くまで膨らませたリュックをパソコンチェアに載せて、航一は翌日の旅路に思いを馳せる。
『提督、私、ここに控えていますので、御用があれば、いつでも仰ってくださいね』
 年代物のデスクトップパソコン(OSはWindowsXP)に繋いだスピーカーから、優しげな女性の声が聞こえてきた。航一は作業の手を止め、机の上のマウスを小突いて、スクリーンセーバーに切り替わっていた画面を元に戻す。
「やっぱ、鳳翔さんは良いよなぁ……」
 ディスプレイに表示されている、バックに桜吹雪を舞わせて母港画面に佇む軽空母鳳翔を見て、恍惚の表情で航一は呟いた。
 畳張りにちゃぶ台という背景が妙にマッチしているが、どう見ても執務室ではない。
「こんな女性(ひと)が実際にいれば良いのになぁ……」
「……私は兄のために用意した日焼け止めと虫除けスプレーを床に置き、そっと扉を閉めたのだった」
「勝手に入ってくんなっつってんだろが! なんだその文学的な喋り方は!」
 そっと閉められた扉の前には、妹の友美が可哀想な人を見るような目で、薄ら笑いを浮かべて立っていた。
「お兄ちゃん、気持ち悪いよ……彼女いない歴イコール年齢の熟女好きオタク高校生の現状を垣間見てしまいました……」
「うっせ! 彼女いない高校生とか普通だろが! あと、熟女好き言うな!」
「ぷぷぷー。まあ、そんなことじゃ、明日の海でも素敵な出会いなんて望めないんでしょうねー。おあいにくさま」
 短めのツインテールを揺らしながら、口元に手を当てて友美が嘲笑う。
「自分が海に行けないからって、拗ねてんじゃねーよバカ!」
「いーっだ! 拗ねてなんかないもん! 心優しき妹が、愛するお兄ちゃんのお肌の心配をして、こうやって日焼け止めと虫除けを持ってきてあげたんじゃない」
「いらねーよ、そんなもん!」
「だーめ! 何も塗らずに海に出たら、次の日死ぬことになるんだよ! ほら! 何も言わずに持ってけ!」
 そう言って、友美は手のひらサイズの日焼け止めを投げてよこした。
 スナップを利かせて放たれたボトルは、狙い過たずライナー一直線で航一の顔面に迫る。
「うわっ!」
 咄嗟に出した右手のひらに収まったボトルの衝撃で、航一は真後ろに転がった。
「あぶねーだろこのやろう! ってうわっ!」
 身体を起こして抗議したところで、今度は日焼け止めのスプレー缶が飛んでくる。またも顔面に向けてである。
「殺す気か!」
 どうにか左手で受け止めたが、手のひらが痛い。
「べっ、別に、お兄ちゃんのために持ってきたわけ……なんだからねっ!」
 そう言い捨てて、友美は部屋を出て行った。
「日本語おかしいだろ!」
 航一は開いたままのドアに向けて叫ぶが、声が届いたかは分からない。
「はあ……なんつー肩っつーか手首してやがんだあいつ……まあ、サンキューな……」
 そう呟きながら、航一はボトルと缶をリュックに詰め込んだのだった。

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