#003 第一章 鳳翔さんが家にやってきた!【02】

 そして夏休み初日の朝。
 クラスメイト数人と弓道部の二年生+αで構成された一団は、夏山家所有のマイクロバスから連絡船に乗り継ぎ、とある離島に向かっていた。
「いやー、もうあれだな。夏山諭吉さまさまだぜ。夏山だけに諭吉サマーサマーってな」
 浮遊要塞(たこやき)もかくやの浮かれっぷりである航一は鼻息も荒く、四人掛けボックスシートの隣に座る諭吉を讃えた。
 航一のスペックは、身長一六二センチ、体重五十四キロ、茶髪ツンツンでヤンチャな悪ガキといった風情である。
「ちょっとここクーラー利き過ぎじゃない? すっごく寒いんですけどー」
 ジト目で口悪く突っ込みを入れるのは、航一の向かいに座る柴深雪(しばみゆき)。航一とは小学一年生の頃からの幼なじみである。
 深雪は黒髪ストレートセミロングで前髪パッツン。深雪というより『初雪』といった風情である。やや目つきが悪く、初対面の同級生女子からは怖がられることもしばしばであった。柴だけに。
 背は航一より少しだけ低く、出るべき所は出て引っ込むべき所は引っ込んでいる、理想的な体型である。
「もっと褒めてよー。こうちゃんが弓道部の女子を連れてきてくれるっていうから、頑張って父さんのこと説得したんだからね」
 同じく航一の幼なじみの諭吉は、家が富豪という割には、それほど金持ち風を吹かせていない。
 というのも、諭吉の家は元々貧しかったからである。
 父親が異常な強運の持ち主で、年末の大きな宝くじで一等前後賞が当選。その勢いで手を出した不動産投資で爆発的な利益を上げて成り上がった。それが諭吉の中学三年間に起きた出来事である。つまり、ぽっと出の富豪であり、雰囲気がまだそれに追いついていないのだった。
「大金持ちでそこそこイケメンのゆきっちだし、彼女の一人や二十人くらいいても良いと思うんだけどなー」
 さらっと真顔で航一が言うと、諭吉はガビーンという効果音でも付きそうな顔をした。
「二十人の大ハーレムを築いていてもおかしくないって、本気で思ってるの!?」
 元々優男風の諭吉はクラスの女子からの評価は高い……はずなのだが、富豪というのが逆に障壁となってか、女子からのアプローチは今のところ皆無である。
「いかにもハーレムアニメの主人公っぽいし、やりようによっては一大ハーレムだって可能かもね。でもユキはヘタレだからねー」
 訳知り顔で深雪が言う。
「ハーレムアニメの主人公って……」
 『ヘタレ』よりもそちらの方にショックを受けた諭吉である。
「深雪はクラスの女子から何か聞いてるんじゃねーの? 実はゆきっちを好きな子がいたりとかさ。女子同士、相談とか受けてそうなもんだけどな」
「さあ、どうかしらね。ノーコメントにしておくわ」
 澄ました顔で思わせぶりに深雪が答える。
「けっ。何気取ってんだか」
「まあまあ。そういうこうちゃんは、クラスとか弓道部に好きな子はいないの?」
「いないいないそんなの」
 パタパタと手を振って頬杖をついて船外に目を向ける航一に、深雪は言った。
「航一は空母の子に恋してるんだもんねー」
「なっ! ……何言ってるんだろうねこの人は」
 一瞬だけ深雪に向き直った航一は、すぐにまた船外を向く。
「こうちゃん動揺しすぎ……。空母って、確かにこうちゃんはそういうの好きだろうけど、恋って……」
 航一は小さな頃から祖父の話を聞くのが好きで、中でも日本帝国海軍の話を熱心に聞いていたのだった。戦艦や空母についての知識はちょっとしたものである。
「そうそう。鳳……赤城とか加賀とかね。カッコイイからね。恋ってなんだろうね」
 航一の見事な慌てっぷりに、深雪と諭吉、略してみゆきちは一様に疲れた表情になる。
「自分で振っといてなんだけど、正直そこまでとは思ってなかったわ……」
「まあ、艦これのことだと思うんだけど、僕はやってないからよく分かんないな」
 つまらなさそうに諭吉が言う。
「そうそれ。艦娘……艦これのキャラに鳳翔って子がいるんだけど、ちょっと年増な感じの」
「年増とか言うな!」
 聞き捨てならなくなった航一が、船窓から視線を戻しキッと深雪を睨みつけた。
「じゃあ……熟女?」
「このやろう!」
 今にも深雪を殴りつけそうな勢いで、航一は前のめりに立ち上がった。諭吉は苦笑いしながら、右腕を張ってそれを制する。
「まあまあ。こうちゃん落ち着いて」
「そうよ。どうしてそこまで熱く、暑苦しくなれるのかしらね」
「…………」
 諭吉に宥められ、航一は深雪を睨みつけたまま渋々腰を下ろす。
「鳳翔さん……鳳翔は二十四歳だしそこまでいってないからな。むしろ金剛の方が」
「金剛がどうしたって?」
『!?』
 三人の前に突然現れたのは、クラスメイトの島崎勝利(しまさきかつとし)。男前で学業・スポーツ万能の完璧超人であり、宝くじ成金の諭吉と違い、こちらは生粋のエリートである。
 航一より拳一つ分背の高い諭吉よりさらに高身長の勝利を見上げつつ、航一は眉をひそめて声を潜めて諭吉に聞く。
「あのさ、なんでこいつ呼んでんの?」
「島崎くんのお父さんにはお世話になってるからね」
「こいつ呼ばわりとは心外だな」
「げっ! 聞こえてた!」
「……この距離でひそひそ話もないだろう。まあいい。俺はあちらの席にいたのだが、艦これの話が聞こえてきたので、少し混じらせてもらおうと思ってな」
 勝利が人差し指を向けた先のボックス席には、航一の知る人が一人とそうでない人が二人座っていた。
「あれ、大江先輩? 三年生には声かけなかったんだけど……」
 そう言いながら航一は立ち上がった。
「悪(わり)ぃ。ちょっと挨拶してくる」
「おい、金岡、ちょっと待……」
 呼び止める勝利には目もくれず、手刀を切りながらボックス席を出ると、勝利が元いた席に出向き、面識のある一人――大江摩耶(おおえまや)に声をかけた。
「大江先輩、おはようございます!」
「おう。金岡君か。おはよう」
 ダークブラウンのポニーテールを揺らしながら、摩耶は切れ長の瞳を航一に向けて応えた。
 摩耶は航一の所属する弓道部の先輩であり、副部長である。部長は男子なので、実質、女子ではトップの実力者である。
 といっても、それは先月までの話。三年生は六月の大会を最後に引退しており、現在の摩耶の肩書きは『元副部長』であり、『受験生』である。
「大江先輩も来てたんすね。すいません。今まで気づきませんでした」
「気にしなくてもいいさ。うちらは車で船着き場まで来たからな。船にも先に乗っていたし。それより、他にも弓道部員がちらほらいるようだが。女子が多いな……」
「ええ。俺が声かけました。主催者の息子が女子部員呼べってうるさいもので」
「……女子部員の私は声をかけられなかったがな」
 心外だとでも言いたそうに頬を膨らませて、摩耶はツンと横を向いた。
 ――うわ、今のすげぇ可愛い……。
 航一は思わず目を奪われたが、すぐに正気に戻ってフォローの言葉を発する。
「いやあの、先輩たちは受験で忙しいだろうし、今回は二年だけってことになって……」
 本当は呼べる人数に限りがあったためなのだが、忙しい先輩へ気を遣っているというのは全くの嘘でもない。
「そうか……むしろ高校弓道部の思い出の一つとして、みんなでワイワイやりたかったものだがな……」
 引退したとはいっても、籍が外れたわけではないため、進学後も弓道を続ける者や後進の育成のため練習に参加する者もまれにいる。摩耶はその後者に属していた。
 航一は引退後まで世話になっている摩耶も呼びたいと主張したが、一人だけ特別扱いは良くないとの声が多数あり、それに従わないわけにもいかなかったのである。
「すいません……変に気を回してしまって」
 顔いっぱいに申し訳なさを滲ませて航一が謝ると、摩耶は相好を崩して言った。
「ははは。まあいいさ。私はこうして、別ルートではあるがお呼ばれできたわけだし、私が三年を代表して楽しんでおくとしよう」
「あの……他の先輩には……」
「分かっている。黙っておいてやるさ」
「ありがとうございます! 大江先輩最高っす!」
「…………」
 航一のキラキラした双眸から、摩耶は逃げるように顔を横に向けた。
「大江先輩?」
「……いや、なんでもない」
「盛り上がってらっしゃるところ申し訳ないが大江殿、こちらの方を紹介していただけないですかな、ぐふふ」
 航一と摩耶の会話が途切れたところに、航一の知らない人の一人、やや太めの黒縁眼鏡をかけたかなり太めの男が、たぷたぷとした腹肉を揺らしながら会話に割り込んできた。恰幅の良さと喋り方が相まって、悪代官とつるんで私腹を肥やす越後屋か大黒屋のようである。
「ああ。この子はうちの弓道部の後輩だ」
 自己紹介しろと摩耶が目で言うのを感じた航一は、若干緊張しながら背筋を正して声を発した。
「えっと、大江先輩の後輩の金岡航一です。よろしくっす」
「先に自己紹介させてしまって申し訳ない。拙者は上井幹久(かみいみきひさ)と申す者。コンゴトモヨロシク」
 どうして武士みたいな喋り方なのか、そしてどうして最後が片言なのか、いろいろ疑問を抱きつつ、航一は残る一人を見た。
「あれ……」
 面識はないと思っていたが、どうやら勘違いだったようだ。髪の色が普段の黒髪と違って薄い水色だったので遠目には気づかなかったが、航一のクラスメイトの一人、南部千早(なんぶちはや)である。
「南部さん……だっけ。同じクラスだよ、な?」
「そう」
 整った顔立ちの千早は表情一つ変えず、抑揚のない声で一言だけ返して沈黙した。
「おお! これは奇縁でしたな。クラスメイトとこんな所で再会するとは!」
 間が保たなくなったのか、ふうふう息を吐きながら幹久が言葉を挟む。
「いや、大げさっすよ。さっき島崎にも会いましたし」
 そう応えつつも、航一は少し助かった気がした。
「……きゅーそくせんこー!」
「うわあ! なんだ!?」
 千早が突然叫んで――相変わらず抑揚はない。大声を出しただけ――再び沈黙した。
 混乱した航一は、視線で助け舟を摩耶に求めた。
「いや、私も正直どうしていいのか分からん。クラスでもこんな感じなのか?」
「席も離れてるし接点ないからよく分かんないっすけど、成績は学年でいつもトップだったような……」
 中間・期末テストの席次で常にトップに君臨し続けているので、名前だけは嫌でも記憶している。ちなみに、島崎勝利が万年二位。
「……疲れましたわ」
「うわ! 普通に喋った!」
 何かの憑依が解けたのか、千早の瞳にハイライトが入り、口調に抑揚が生まれた。
 これまで瞬きの回数を抑えていて乾いたのか、目をパチパチさせながら、千早がまともに、というより高速で話し始めた。
「島に着くまでこのキャラを維持させようと思っていましたが、想像以上に大変でしたわ。特に、茫洋とした瞳を再現するために瞬きを我慢するのが地味に辛かったですわね。話し方は、元がこういう感じですし、問題なかったのですけれど。それよりわたくしの蒼い髪、いかがかしら? なりきれてますでしょ。頑張って染めましたのよ。ああ、次の登校日までに元に戻さなければ」
「…………」
「いや、私にも何を言っているのかよく分からん。クラスでもこんな感じなのか?」
「席も離れてるし……いやそんな使い回しのコメントされても困ります」
「大丈夫ですわ。この話し方は、先程から話すことを制限していた反動ですのでご心配なく。わたくし、きちんと社会には順応できていますわ。少々他の方と違った行動を取ることはありますけれど、成績はトップをキープしていますし、コミュニケーションも、この通り、問題なく取れていますわ。金岡さんもそうお思いでしょう?」
「…………」
「いや、だから、私に助け舟を求めるのを止めなさいよ」

「おかえりー。なんだか楽しそうなことになってたね」
 フラフラになりながら元の席に戻ってきた航一を、諭吉が苦笑いを浮かべながら迎えた。
「あんな濃いキャラクターの奴が学年トップとは……それより、それがうちのクラスにいたことに驚きを禁じ得ないぜ。大江先輩にもたくさんキラーパス出しちゃったし……それも微妙に受け流されたけど。まあ、あのよく分からんキャラよりはマシンガントークキャラの方がましかもしれねーけどな」
「あんた、キャラ伝染ってるわよ」
「はっ!」
「まったく……せっかく艦これ談義ができると思って来たのに、入れ替わりで出て行くとは、酷いではないか」
 深雪の隣には、憮然とした様子の勝利が腕を組んで座っていた。
「どうして、てめえがここに居着いてんだよ!」
「それもまた酷い言いぐさだな」
「うっさい! 万年学年ナンバーツーが!」
 航一が言い放った瞬間、その場の空気が凍り付いた。諭吉だけは何が起きたのかよく分からないのか、一人きょとんとしている。
「酷いっ……! も、元の席に戻らせてもらうからな!」
 目を赤くした勝利は席を立って、逃げるように元の席に帰っていった。
「ちょっと、今の酷すぎない? 島崎くんは別に何もしてないでしょうが」
 深雪が責める口調で航一に言う。
「酷い、かなぁ。ナンバーツーって普通にすごいと思うんだけど……」
 諭吉は首を傾げながら呟くが、航一はそれに頷かず、反省した様子で頭をポリポリと掻く。
「いや、確かにちょっと言い過ぎた。あいつはどうもいけ好かないっつーかなんていうか……とにかく謝ってくるわ」
 再び立ち上がった航一は勝利の所へ。
「エリートのプライドが許さないってことだと思うわ。私たちには関係ないけどね」
「そういうもんかな……」
 残されたみゆきちは、航一と勝利のやりとりを遠巻きにぼんやりと眺めるのみ。
 窓の外を見てふて腐れた勝利の前に立った航一は、頭を下げて言った。
「師匠、すんませんでしたー」
「もう、ええねや」
「あの二人、実は仲良いんじゃないの?」
「さあ……」

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